2012年1月28日土曜日

【続報】『セックス・アンド・ザ・シティー(SATC)』のシンシア・ニクソンが、「私は選んでレズビアンになった」と発言して波紋を広げてる-How Cynthia Nixon's "gay by choice" statement might play in court

昨日お伝えしたたシンシア・ニクソンの発言、結構反響が大きかったみたいね。アンケートもこれまで21人が回答してくれてるし、ツイッターでも何人かコメントくれてる。ありがとう~。あと、ロサンゼルスタイムスも、今日、新たに社説を掲載してる。

とりあえずアンケートの回答はこんな結果に。

予想通り、やっぱり「選択ではなくいつの間にかゲイだった」っていう「先天性」を選んだ人の数が一番多かったね。

一方、「その他」を選んだ3名のコメントはこんなかんじ:

先天的か後天的かということに興味がないし、調べる価値もない。彼女自身が選んだというならそうなのだろうし、みんながそうではないということも言ってるのだから、別にいんじゃないか。
2012/1/26 4:19

性的志向を分析することは科学の一環として必要なのかもしれない。けれど人を好きになることにとやかく他人が口出しするものでもない。
2012/1/26 6:31

一つに定めて論じるられるべきものではないと思います。エビを食べられない人には、味や触感を嫌悪する人もいれば、アレルギーで食べられない人もいる・・・そんな感じでしょうか?
2012/1/26 21:38

3人とも意見の内容が似てるよね。要は、「本人の問題(プライバシー)で、他人がとやかく言うことではない」ってことだよね。

ツイッターの意見はこんな感じ:

こんな記事が…ミランダが言わんとしてること、わかるけどね。

僕はミランダの主張の方が肌に合います。確かに後天的な選択だとしたら性的指向だとして色々なことを言ってくる人たちに餌をあげたことになるけど,1番大 事なのは自分がどう納得するかだと思います。カテゴライズなんてマジョリティありきの考えは重要じゃないはずですよね。

彼女の言ってること実はすごく共感します。オレもノンケ→バイ→ゲイと心地良い場所を選んで今に至るから。彼女のような影響力のある人が言うべきかはわからないけど、そういう人も存在するのは事実で、ゲイが皆どちらとは決められないし、決めるべきでもないと思うのです。。。

シンシア・ニクソンの意見に賛成な人が多かったのが意外だったなぁ。ま、僕がアンケートで聞いた質問が、「自分がLGBTになった要因は?」って書いてるから、みんな自分の頭の中で自身に問うてみた結果なんだろうね。だから中には「ホットケヨ!」って思う人もいるし、「人それぞれ」と思う人もいると。

ただ、もっと真っ向からシンシア・ニクソンに反対する意見があってもよかったなと僕は思う。これは、個人の問題としてではなく、もうちょっと大きな視野で、社会的影響とか、LGBTの人権活動への影響についての議論になるんだけど。

アメリカだと、今大統領選挙に出馬してる政治家の中にも、「ゲイは意思が弱いから、誘惑に負けてヘテロセクシャルじゃなくゲイの人生を選択してる」って言う人がいるくらいLGBTは社会で公に攻撃されてる。同性結婚を違憲にした州もいくつもあるLGBTに対する差別的な暴力を合法化してる州もあるくらい!だけど日本じゃ良くも悪くもLGBTの人権が社会で問題視されるほど盛り上がってもないでしょ?(あ、今日こんなニュースがあったけど→『「嫡出子認定を」不服申し立てへ 性同一性障害の夫』)。

だから、日本に住んでてアメリカの社会情勢と温度差がある人たちにとっては、「ゲイは意識的に選択してなるもの」と言うことが、「ゲイは心の病気で治療されるべきもの」となっちゃう論理が想像しにくいんだと思う。だから、シンシア・ニクソンが言ったことが、アメリカだととんでもない発言だって理解するのが難しい。自分の身が置かれた社会的文脈が違うからね。

僕は彼女の発言内容を聞いて最初に思ったのが、「こいつアホやー」っていうのだったよ。

まず、昨日の記事で、「最近、私はゲイの聴衆を力づけるためのスピーチをしたの。そのスピーチの中に、『私はストレート(ヘテロ)でありかつゲイであり、ゲイのほうが(私にとっては)より良いことだった』」とある。なんで彼女は、「私はストレートだ」って言うことがゲイの聴衆を力づけると思ったの?彼女、マジでアホやない?本気で、ゲイの聴衆がそんなこと聞いて元気づけられる思ってたの?彼女は想像力があまりに欠如してるし、言葉が足りなさすぎ。

そして、主催者側に反対されたことも含めてインタビューでそのことを暴露したわけだけど、いざ、いろんな人から批判されたら、開きなおって、「私にとって、同性愛は選択肢なの。多くの人達にとっては選択肢じゃないっていうことは分かっているのよ。だけど私にとっては選択肢なの。私がどれくらいゲイ(同性愛者)かということを他人には決めさせないわ」 でしょ?もう逆切れもいいとこ。彼女の答弁って、小学生レベルだよ。

自分がどうしてゲイになったかなんて、今回アンケートに答えてくれた中の何人かが言ってくれたように個人の問題なんだから、それはご自由にって思うけど、それを公の場でスピーチ内容に込めるからには、なんらかの理由やメッセージ性が求められるなんて当然でしょう?それを説明できないからって、「私はそうなのよ!」って顔を紅潮させて言うしかない彼女って幼稚すぎでしょう。

シンシア・ニクソン、っていう有名女優で影響力がある人だから金もらってスピーチお願いされたんでしょ?そこで、特に理由もなく、自分の意見や感情だけを最優先させた内容を発言するっていう意識がレベル低すぎ。彼女は、自分がそうだからっていう理由だけで「選択してゲイになった」と安易に発言してしまうことに責任が取れるのか、っていう話にもなるんだよ。彼女は、自分が言ったことの重大性を理解できてないし、自分の発言がおよぼす社会的影響について考えなさすぎだったと思う。でなかったら、「私がそうなんだからそう言ったまでよ」みたいな無責任な言い方はできないでしょう。

実際、シンシア・ニクソンの発言が、法廷で重要な意味を帯びるかもしれないというのが、今日、新たに報じられていたロサンゼルス・タイムズの社説にあった。こちらもご紹介します。


◆ ◇ ◆ ◇

「シンシア・ニクソンが言った『選択してゲイになった』発言は法廷論争に影響するかもしれない」
ロサンゼルス・タイムズ社説
2012年1月26日

女優のシンシア・ニクソンが、「自らの意思で選択してゲイになった」とNew York Times Magazineでのインタビューで語ったが、同性愛が先天的なものか後天的なものかに関する証拠の再研究の大波を引き起こしただけでなく、ゲイの人権に関する法的論争にもやっかいな問題を投下した。

タイムズ紙の科学担当記者Karen Kaplanがまとめているように、「科学的に一致した意見というのは、同性愛ということに対して生物学的なベースが実際にあるようだということである。ただし、必ずしも100%、遺伝子、もしくは環境的要因のどちらかによって決定づけられるというわけではない」。科学は複雑であり、そこに含まれる生物学(必ずしも遺伝学ではなく出産前にさらされるホルモンについても含む)は確かに重要な要素であるが、おそらく唯一の要素ではない。

一方、ニクソンは、ゲイの人権を新しい方法で組み立てようとしている。しかし奇妙なことに、それはいくつかの宗教団体が広めている「ゲイの治療」を連想させる。彼らも、同性愛が生まれつきかどうかは問題ではないと言う。彼らにしてみると、同性愛はどちらにしても依然として間違いなのだ。そのため、ゲイの人々はたとえ彼らの性的嗜好(註:原文でsexual preferenceとあり、非差別的なsexual orientation=性的指向とは異なる表現)が変えられないとしても、ゲイは彼らの(同性愛)行動を変えるために「学習」しなければいけない。他人の妻と浮気をしたいという欲求は、「生まれつき」かもしれないし、「自然なこと」かもしれないが、いずれにしても克服すべきことだと、こうした宗教団体の人間は言う。ニクソンは、もちろん同じ論理であるがコインの裏返しにある。彼女は、なぜ選択して同性愛になることが本物のゲイじゃないということになるのか?と問う。

一体それはなぜなのか?同性愛者に対する差別についてあまりに多くの議論が、異常なまでに一方的な決めつけという問題に陥ってしまっている。ゲイは結婚するべきではない、と反対派たちが(ロサンゼルスタイムズ紙の)編集委員会に意見を寄せてきた。その理由は、子供たちは、母親と父親と共にあるとより幸せであるという研究結果が示しているからだという。 実際には、いくつかの優れた研究結果はそのことを全く証明していないのだが――しかしそれがここで問題なのではない。ヘテロセクシャルであっても悪い親になる人は数多くいる。なぜ、社会は彼らが結婚する資質があるかどうかについて判断しないのか?大人がどういった種類であれ性的行為を行う場合、その行為の「種類」が同性愛である場合にのみ、なぜ社会は彼らに対する差別的な法律を定めるのか?

(カリフォルニア州で同性結婚を合法化することを禁止する住民投票結果の)プロポジション8に反対した訴訟が控訴されているように、法廷では、この問題が非常にリスクの高い賭けになる可能性がある。合衆国憲法の修正条項第14条に基づき、法廷はこれまでの判例として、もし伝統的に差別の対象とされてきたような、「完全に分離され」、「孤島」となっているコミュニティーに差別的な法律が影響する場合、それが法律として存続するためには非常に高い法的基準を越えなければいけないと述べている。伝統的に、これ(差別の対象となってきたコミュニティー)には民族的、人種的マイノリティー、そして女性を含んでいる。当時、アメリカ地方裁判所主席裁判官であったVaughn R. Walker判事は、プロポジション8に関する彼の判決文の中で、これは確実にゲイおよびレズビアンのコミュニティーにも当てはまると書いている。

しかし、歴史的にみると、そのようなグループを決める評価基準の一つは、変えられない特徴が理由でマイノリティーとなっていなければいけない。もしニクソンが言うように、性的嗜好(註:ここでもsexual preferenceが使われている)は(意識して行われる)選択であるならば、ゲイとレズビアンは単に差別されるマイノリティーにならないように「選ぶ」ことができるのではないだろうか?

(マイノリティー)グループは、必ずしも評価基準を全て満たす必要はなく、その他の要素も考慮に入れることができる。しかし、ゲイの人権活動家たちは、性的嗜好が変えることができると考えられてしまうと、彼らが達成しようと続けている、法的権利を求めた法的追求は意味を失ってしまうかもしれないと懸念している。

もちろん、ニクソンは彼女自身についてだけの意見として語っており、彼女のコメントがこのケースでそれほど重要なことになるのは疑わしい。しかし、私も彼女の意見に賛成であり、(ゲイがどこからきたかは)問題となるべきではない。厳密に人々がいかにしてこうも各人異なっているのかというのは、複雑で、おそらく決して知ることのできない問いであり、他人を傷つけることなどありえないような人々から基本的な権利を奪い去るために、なぜかくも必死になる人々がいるのかという問いに比べると小さなことである。

◆ ◇ ◆ ◇

アメリカで暮らすLGBTにとって、差別を撤廃して平等な権利を獲得するということは、戦いなんだよね。前にも書いたけど、「やられないとやられる」っていう危機感がアメリカのLGBTコミュニティーの中にある。1969年、ニューヨークで、同性愛というだけで警察に逮捕されたゲイたちが、ストーンウォール暴動を起こしたように、この闘争は今でもアメリカで続いている。

2 件のコメント:

  1. 初めてコメントします。
    個人的には彼女の言ってることはわからなくはないです。ただあまりにも言葉足らずなのではないか、もしくはちゃんと自分の言いたいことを理解してないのではないかとは僕も思いますが…
    記事がまとめているように、なぜ同性愛者になるかということについては先天的なもの(遺伝子や胎内でのホルモンによる影響)と後天的なもの(生まれ育った環境)両方の要因が関係するのでしょう。
    というのは、自分の体験から言ってもそう感じるからなのですが、僕は今現在はっきり自分をゲイだと認識している一方で、小さいときは女性が性的指向だったこともよく覚えています(現在でも多分女性で勃つことは勃つかも…笑)しかし僕の今の指向は確実に男性で、女性には恋もしないし性的興味も覚えません。
    では、僕自身がゲイであることは、まったく先天的なものかというと、はっきりした境目があるわけではないにしろ、そうとは僕自身言い切れないし、かといって自分がゲイであることを”選びとった”とも言えません。今の自分自身を自然だと感じるし、なろうとして意図的になったわけでもないからです。
    なので、僕個人としては、人間の性的指向というものには様々な広がりがあって、むしろ”本質的”に人間は両方の性を愛することが可能ではないかと思ってしまいます(なんだか古代ギリシャを思い起こすけど…)ただ、それは一方の性にたいするものが強かったり、あるいはあまり差がなかったり、さらに自意識や環境・社会による影響によってそれが揺れ動いたりするものなのかな、と。つまり最初から自分をゲイ・ストレートと認識した人もいれば、段々とその認識が変わっていく人もいるのではないかと思います。そしてそれはどちらかが間違ってるということではなくて、どちらも自然なのではないでしょうか。最初からゲイではないと本当のゲイではないというのでは、むしろ逆の差別を生んでしまう気がします。
    もしかしたらそのような意味で、つまりどちらが自分にとってと自然と感じるかを自分が”選んだ”という意味で彼女は発言したのかもしれません。といったところで、彼女の持つ発言力やスピーチする場がどのような場なのかを考えると、あまりにも幼稚というか、考えがなさすぎとも言えますが。
    それともうひとつ、社会的な問題として、そもそも多様な性的指向があるときになぜそれが先天的でなければ間違っているのか、”治癒”しなければいけないということになるのか、というのもありますよね。
    この先天性の議論って、結局はホモフォビアの人が言う、「女性と男性が愛し合うことは子孫を残せるということなのだから、同性愛は生物学的に正しくない、先天的に人間は本来異性と愛し合うようになっているのだ」という考えの裏返しになりませんか?僕にとってこの先天性・生物学的正さをめぐる主張は「自分が同性愛者かもしれない、あるいは同性愛者になりうる」ことを認めたくないという風にも聞こえるので、もし逆に同性愛者側が性的指向は先天的なものであって絶対変化するものではないと主張するとしたら、なんだか同じ穴の狢というか、同じロジックを言ってるようにも思えます。LGBTの運動ってある意味ではひとつの絶対的な価値観にたいする闘いであると思うので、その主張自体が多様性・変化することを認めることも大事なのではないか、そういう考えが受け入れられることが大事なんじゃないかなって思います。
    まぁ、僕の考えで行くと、同性愛者から異性愛者になるということも稀ながらありうる、ということになりますが、あってもおかしくはないかなって個人的には感じます。

    長々と失礼しました。

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  2. いや~、深いわ。僕も同意見だよ。limemintさんのコメントを読んで、またいっそうよく状況が見えてきた気がする。

    特に本質をついてるなと思ったのがここ:

    「LGBTの運動ってある意味ではひとつの絶対的な価値観にたいする闘いであると思うので、その主張自体が多様性・変化することを認めることも大事なのではないか、そういう考えが受け入れられることが大事なんじゃないかなって思います」。

    同性愛の問題に限らず、西欧文明って、まさに「絶対的な価値観にたいする闘い」の歴史だよね。共産主義だとか民主主義だとかも、イデオロギーとして観念論で議論してそれを実行しちゃってる文化・歴史が脈々と受け継がれてる。アメリカの政治も観念論が先行するから、民主党と共和党なんて単純な2大政党制が成り立ってるでしょう?細かい意見はバッサリ切り捨てて観念を集約させたら二手に分かれたってことなんだよね。日本だったら政党が二つだけに分かれるなんてあり得ないよね・・・政治家に絶対的な観念がないから。

    だけど、物事を観念論でつきつめて二極化しちゃう弊害っていうのもある。同性愛に関する議論も、観念論で議論するのが好きな欧米人だから、「不変な指向なのか?」っていうようなレベルで法廷論争になっちゃってるのも、論理の迷路にはまってしまった結果だよね。極論を話し始めると、ますます現実から乖離しちゃうっていうね。だからそれに当てはまらない「ゲイ」がたくさん出てきてしまうという矛盾。

    そういう意味では、ニクソンが言いたかったのがなんとなく分かってきた気はする・・・。ゲイがどこから来たかを論じていては、本当の平等は得られないってことなんだろうね。じゃーなんでそう言わんのじゃ!って思っちゃうんだけど、きっと自分の直観的な意見を口で表現するのが苦手な人なんやろうなぁ。

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