2010年10月8日金曜日

SFのゲイ

本日のメインは、カストロ地区と、そこと近接するミッション地区を散策してきた。


あいかわらず、平日の昼間だというのにゲイの多いこと。堅気の仕事以外の人が多い証拠だね、きっと。それと、カストロ・ストリートから18th Streetを曲がって進むと、ミッション地区がある。最近はヒップでおしゃれな人たちが住みだしてアパートの家賃も高くなってるらしいけど、元々はメキシコ系移民が定住した地域とか。一時期はギャングが幅を利かして犯罪率も高かったらしいけど、警察がギャングたちを取り締まったおかげで復興してるらしい。そこにあるDolores Parkからの見晴らしが最高。


そして今日のメインはゲイの「大御所」との夕食だったのだ。知人のツテで、カストロ地区に20年以上住むゲイ・カップルに紹介されて色々とアドバイスがもらえることになった。このカップル、一人は日系アメリカ人で、もう一人はスウェーデン&スコティッシュ系アメリカ人。連れ添って何十年の熟年カップル。ゲイの大ボス、とまでは言わないまでも、カストロ地区の長老みたいな人たち。

彼らによると、サンフランシスコも、人種、階級なんかで居住地域がくっきり分かれているらしい。例えばNorth Beachはチャイナタウンに近くて海の見晴らしはいい場所だけど、中国からの移民が多くて超コンサバな地域でしかも地盤が泥でゆるいから地震がきたら一発でやられるとか。急斜面を降りた場所だからアクセスも不便で陸の孤島みたいという評。ダウンタウンに近いTenderoinと呼ばれる地区も、薬中やプロスティチュートが多くて治安が悪いから特に夜は歩かないほうがいいらしく、彼らもそこで車を路駐したら窓ガラスを割られて小銭なんかを取られた経験が5回もあるらしい。(日系の高級ホテルのHotel Nikkoがその境界線辺りにある!)

最近(?)Tenderloin地区を歩いてたドイツ人観光客が不運にも流れ弾にやられて亡くなっているらしい・・・。だけど、そこから西へ急な坂道を登ると高級住宅街のRussian HillとNob Hill。「悪い人たち」は坂道を登ってまで悪さをすることはないらしい。最も勾配のあるところでは5階建てビルに相当する高さを1ブロックで登りきらないといけないらしい。アパートを決めるとき、どれくらい平地か、近所に坂道がないか、というのも重要な要素だから注意しなさい、とのこと。毎日のことだもんねぇ。急な坂道が少ない場所を選ぶというのも重要なんだね。

彼らが住むゲイの中心地カストロ地区は治安も比較的良くて住みやすい地区らしいけど、レストランは最悪なんだとか。値段が高い割りにまずい手抜き料理を出すお店ばかりで、彼ら住人は美味しい料理を期待してカストロのレストランには行かないらしい。そういえばこれまでカストロ地区で美味しいレストランに行った記憶がない。なんか納得・・・。

一番ためになったのは、SFの賃貸物件は、建物が1979年よりも前に建てられている場合、法律でrent control(家賃の上昇制限)の対象になるからそういう物件に絞ったほうがいいということ。彼らが20年住むというカストロ地区の家賃は、今の相場では考えられないくらい低いらしい。いいよねー。

あと、サンフランシスコは夏ですら最高で平均で20度未満、冬も薄暗くて寒いから、セントラルヒーティングがあるアパートがお得なんだと。セントラルヒーティングだとアパートごとに使用量を計ることができないから、家賃に込みで請求されてお得なんだとか。冬の間も、ヒーターが使いたい放題ってわけ。これに関係して、日差しが入り込む明るい物件を意識して選ばないと、本当に部屋が日中でも真っ暗もしくは薄暗くて陰鬱な生活になりかねないらしい。これは住んでる人じゃないとわかんないよねぇ。他にも長老ならではの細かいアドバイスを山ほど聞けた。「生き字引」的な人からのアドバイスは本当に貴重だわさ。そうだそうだ、サンフランシスコに住むゲイカップルの3組に1組は子供がいるんだと!

おまけで興味深かったのは、「長老」の一人が日系6世(5世かも?)だったということで、アメリカに住む日系人の歴史が聞けたということ。彼の祖先は1890年頃に熊本県から一族総出でハワイに移民したんだと。明治維新で破れた側の日本人が、多くアメリカに移住したらしい。だから鹿児島やその他九州の県、山口県、そして高知県出身の日系人が多いらしい。へぇ~だよね。日本で差別されていた沖縄県民も多くがアメリカに移住したらしく、日系人の3割は沖縄出身の子孫なんだとか。特にアメリカの日系人の間では沖縄出身者が差別されていたらしく、結婚するのは沖縄県以外の出身家族と、という掟もあったらしい。同じ日系人で仲良くすればいいのにね。何でそんなことになったかは聞かなかったけれど。

第2次世界大戦中には、日系人は収容所に入れられて大変だったという話も聞いた。南カリフォルニアは砂漠地帯が多くて不毛な土地だったところに、潅漑技術に優れた日本人が入植して一大農場地帯を作り上げていた。それが第2次世界大戦でカリフォルニアの日系人が収容所に送られ、それをいいことに、こうした土地はその他の地元住人が横領してしまったんだと。中西部の州や東海岸のペンシルバニア州なんかは、追われた日系人を受け入れるのに積極的だったらしく、カリフォルニアで生活していた日系人の多くが中西部や東海岸に避難・引越ししたとか。

アメリカに長年住む日本人として、日系人の歴史についてまとまって学ぶ機会がなかったなぁと考えさせられたよ。日本の教育システムでは、アメリカやブラジルに移民した日本人のことなんてほとんど教えないじゃない?そういう体験をしている人も日本では知り合えないし。かといって、アメリカに来ても日系人の人と仲良くなる機会もあまりなくって、本当に無知だったなぁと反省。ここまでアメリカに住んできて、僕も半分日系人になりつつあるのに、日系人がたどってきた困難の歴史を知らないというのは恥ずかしい限り。これから機会を見つけて色々と真実の歴史に触れていきたいなぁ。
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